ストレンジ師 【Frederick William Strenge (フレデリック・ウィリアム・ストレンジ) 英国人1854-1889 】 |
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1854 |
1854年英国デボンシャーに生まれる |
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1873 |
名門イートン校を卒業すると大学進学をあきらめ、18歳で日本に渡航 |
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1875 |
菊池大麓博士の推薦で神田一ツ橋の外国語学校(後の東京高等商学校(一橋大))の英語講師となる |
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1877 |
大学予備門に移り英語と体育を担任 |
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1881 |
元箱根芦ノ湖で転覆したエディス(日本郵船会社の外事支配人ハウ氏の姪)を助ける。 |
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1885 |
長男フレデリック誕生。秀吉を尊敬していたので太閤と呼び可愛がる |
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1888 |
長女ノラ誕生 |
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1889 |
7月5日没 死因は心臓麻痺 7月7日青山墓地に埋葬 |
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18歳で日本に渡航したストレンジは英国出身ではあるのだが本格的なボート競技は体験していないようだ。この当時の英国では本格的なボート競技を体験するには大学のクラブにおいては可能である。しかしながら、横浜アマチュア・ローイング・クラブのメンバー時代に本格的な競技を身につけたと考えられる。また各種のスポーツ、ラクビー、陸上競技、馬術、水泳などにも見識があって日本のスポーツで彼の指導を受けないものはないといわれている。 本国英国ではボート競技者としては無名の彼が日本にボート競技を定着するのに大きく貢献しているといえるし、オアーズマンスピリットは脈々確実に受け継がれているということを考えたとき漕艇界にもたらした大きな奇跡のような気さえする。以下は技術よりも精神に重きをおきスポーツマンシップを強調した彼が学生たちにいった言葉である。 「スポーツで最も大切なことは、互にベストを尽くして戦うことで勝敗は問題ではない」 「スポーツの究極の目的は情意の鍛錬で筋骨の鍛錬はその手段にすぎない」 「レースに勝った時には必ず "Well row" といって相手をいたわれ」 |