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明治維新後日本の港には外国の軍艦や商船が停泊するようになった。どうして軍艦や商船が停泊するようになったかは日本史の勉強をお勧めします。私もあまり得意でないので。ただ言えるのはペリーが黒船で日本に来たのは欧州各国の植民地化が進むなかで太平洋航路を納めようと考えそのためには日本を東南アジアへの太平洋航路の物資補給の拠点としたいということや英国はまだ太平洋をまだ支配していなかったということ。幕末に長州五傑といわれる伊藤博文や井上馨らの長州藩五人が国禁を犯して英国へ留学、薩摩藩は英国と藩として同盟を結び、幕府は仏蘭西の力を借りるというなかで、大政奉還後この環境のなかでの日本国の英国との結びつきは得に強いものと想像できうる。そして、その艦船、商船には当然の如く競漕艇になりうるカッタなどのボートが装備されている。 日本で最初にスポーツとしてボートレースが行われたのは長崎在留のオランダ人といわれているが、日本の学生がボートを漕ぐきっかけとなったのは英国艦載の払い下げのカッタを漕ぐことが出来たことや、この英国海軍の水兵のあいだで行われたヴィクトリア女王の誕生を祝う記念レースが行われていたということである。いわゆるボートのレースを国内の人間によるものでもないが(艇があったから)日本国内で行う環境があったということだろう。 しかしながら、日本はいたる所に港や川を存しているのにもかかわらず拡大していかなかったのは艇が非常に高価であったからであろう。現在でも、各学校で所有する艇は多く存在する出あろうが学生個人で所有するのは希である。気軽に始められる自然環境はあるのに気軽に始められる設備はないということだろうか。 |